代表メッセージ
株式会社スマイルテレビ 代表取締役 佐々木敏郎
放送作家歴はこちら | 私がテレビショッピングに携わったのは、1990年頃(30歳)だったと記憶しています。 知人から「TVショッピングの台本を書かないか?」と依頼され、 知人に「視聴率を上げて見ている人を増やせば売上があがるよ!」と軽口をたたき、 結果は見事、視聴率4週平均の2倍です。 商品の人気が無いからだと強がる私に、屈辱的なデイレクターによる、 テレビは「見てもらう番組」と「買ってもらう番組」が全く異なるのです。 しかも、視聴率では分からない、どんな方が見ているのかという視聴質なるものが明確に テレビショッピングは誰の目からみても、一目でそれだと分かる「心地良きマンネリズム」が必要です。 以来、その面白みに憑りつかれ、30年以上が過ぎました。 それが「言霊(ことだま)」収録です。 タレントの皆さんが本音で興味を持ち、本音で聞きたいことを聞き、 かつて梅宮辰夫さんと長らくご一緒させて頂いた際、 以来、当番組の収録スタイルとして一貫させていただき。 番組で見て「即座にものを買っていただく」、これほど難しいことはありません。 今後はこうした「言霊動画」を、 これからも「TVで終わらないTVショップ」の普及に真剣に取り組んでおります。 佐々木敏郎 |
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私がテレビショッピングに携わったのは、1990年頃(30歳)だったと記憶しています。
放送作家としてそれなりに儲かっていた、良き時代でもありました。
知人から「TVショッピングの台本を書かないか?」と依頼され、
当時イキガッテいた私は、あの手の、わざとらしさの固まりでもあった、
「テレビショッピングスタイル」に食傷気味で、放送番組にくらべ、
正直、物販番組を下に見ていました。
知人に「視聴率を上げて見ている人を増やせば売上があがるよ!」と軽口をたたき、
高額なギャラと引き換えに、初のテレビショッピング番組の台本を一から書かせて頂きました。
結果は見事、視聴率4週平均の2倍です。
しかし!売上はいつもの3分の1・・・そんなはずはない!
商品の人気が無いからだと強がる私に、屈辱的なデイレクターによる、
番組の編集し直しが行われ、「いつもながらのTVショッピング」もどきにされ、
再放送、売上は以前の2倍以上に、但し、視聴率は半分に戻りました。
テレビは「見てもらう番組」と「買ってもらう番組」が全く異なるのです。
しかも、視聴率では分からない、どんな方が見ているのかという視聴質なるものが明確に
存在します。
テレビショッピングは誰の目からみても、一目でそれだと分かる「心地良きマンネリズム」が必要です。
その上で商品の魅力で惹きつける演出がプラスされるのです。
以来、その面白みに憑りつかれ、30年以上が過ぎました。
いまだ謎の解決まで至りませんが、一つの事がわかり、現在まで続けていることがあります。
それが「言霊(ことだま)」収録です。
タレントの皆さんが本音で興味を持ち、本音で聞きたいことを聞き、
それが業者さんにとって失礼な質問でも、視聴者の代表として投げかける。
その上で本当に納得した時に生まれる「言霊」を大事にする。
かつて梅宮辰夫さんと長らくご一緒させて頂いた際、
「俺らの顔と信用でモノを売っているんだ。変なものを持ってくるな!」といつも言われておりました。
梅宮さんは台本には無い質問を自由にぶつけてきます。
業者さんとの真剣勝負になることが多数ありました。
まさに「言霊」収録です。
以来、当番組の収録スタイルとして一貫させていただき。
私自身いまだに台本に手を入れさせて頂いております。
番組で見て「即座にものを買っていただく」、これほど難しいことはありません。
そのための、重要なファクターに「言霊」があることは間違いありません。
今後はこうした「言霊動画」を、
TVだけでなく、ネット、モバイル、店頭まで展開し、
「本当に良いもの」「価値があるもの」を流通させる新たなシステムを構築したいと思っています。
それが「高付加価値流通網の実現」です。
これからも「TVで終わらないTVショップ」の普及に真剣に取り組んでおります。
佐々木敏郎
佐々木 敏郎(ささき としろう)経歴
1960年 | 青森県八戸市生まれ |
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1978年 | 青森県立八戸高等学校 卒業 |
1984年 | 明治大学工学部建築学科 卒業 |
1985年 | 放送作家 久利一(くり はじめ)師事 |
1985年 | 放送作家集団 株式会社カンケリクラブ所属 |
1992年 | 株式会社東京テレビランド創業 (1985年設立の友人の休眠会社を買収) |
2011年7月1日 | 株式会社スマイルテレビ設立・創業 |